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袁州
袁州市は山東省西南部の魯西南平原に位置する。東には曲阜の孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西には梁山県の水滸伝ゆかりの沼沢地(梁山泊)があり、北には泰山がそびえ、南には微山湖を望むため、「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれる。

全市の総面積は651平方キロメートルで農地面積は60万畝ほど。泗河が南西から北東に流れ、その西北岸に?州の中心市街地がある。昔の県城内には府河という小さな川が流れ、九仙橋や中御橋などが架かる。

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袁州の城楼に登る
東郡 庭に趨(は)する日
南楼  目を縦(ほしい)ままにする初め
浮雲は 海岱に連なり
平野は 青徐に入る
孤峰には秦碑在り
荒城には魯殿余る
従来  古意多し
臨眺して独り躊厨す
■ 杜甫 青年期の詩

301 登袁州城楼 



  五言律詩。河南・山東に放浪生活を送っていたころ、袁州都督府司馬の官にあった父の杜閑を訪れた折の詩。742年(天宝元)年、三十一歳のころの作。

袁州市は、昔から「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれてきました(東に孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西に水滸伝ゆかりの「梁山泊」があり、北には「泰山」がそびえ、南には「微山湖」を望むため)
また、「杜甫」ゆかりの地である少陵台もこの市にあります

登袁州城楼
東郡趨庭日、南楼縦目初。
浮雲連海岱、平野入青徐。
孤嶂秦碑在、荒城魯殿余。
従来多古意、臨眺独躊厨。


袁州の城楼に登る
東郡の庭に趨おもむいている日、南楼で目を縦ほしいままにする初めです
浮雲は海や岱に連つらなって、平野は 青や徐に入ります
孤峰には秦碑が在り、荒城には魯殿が余のこっている
従来の古い意おもい多いので、臨眺してて独り躊厨ちゅうずしてしまう


 東郡の地で父の教えを奉じている日にあって、袁州城の南楼で眺めをほしいままにするその初めのときよ。
空に浮かぶ雲は海や泰山のかなたにまでつらなり、平野は青州や徐州の方まで入りこんでいる。
ひとりそばだつ屏風山には秦の始皇帝の石碑が今なお残っており、荒れはてた町には魯王の宮殿がそのあとをとどめている。
これまで古をなつかしむ気持ちの多かったわたしは、城楼に登り立って四方を眺めながらびとりたち去りかねている。

○東郡 秦のときの郡名で、袁州はその郡に属していた。○趨庭 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の鯉が「庭を趨って」過ぎたとき、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とを学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、?州のすぐ東に孔子の故郷である曲阜があることによる。○海岱 東の海と東北にそびえる泰山のこと。○青徐 青州と徐州。ともに太古の九州の一つで、青州は?州の北、徐州は?州の南にひろがる地域をいう。『書経』萬貢篇に「海岱は唯れ青州」とある。○孤峰 ?州の東南数十キロにある嘩山をいう。○秦碑 紀元前三世紀のころ、秦の始皇帝が巡幸の記念として建てた石碑。○荒城 ?州のすぐ東にある曲阜をさす。○魯殿 紀元前二世紀、漢の景帝の息子、魯の共王が建てた霊光殿をいう。○臨眺 高い所に登って遠くをながめる。○躊厨 躊躇。行くことをためらう。○韻字 初・徐・余・厨。


少陵台は杜甫ゆかりの地である。杜甫は李白と?州で会い、終生の友誼を交わした。杜甫は『登?州城楼』と題した詩を書き?州城の南楼からの眺めをうたっている。当時の?州城は戦乱で荒廃し現存しないが、南楼の跡の崩れたレンガが積み重なってできた丘は少陵台と呼ばれ今も?州の県城内の北寄りに位置する。


袁州の城楼に登る
東郡 庭に趨(は)する日
南楼 目を縦(ほしい)ままにする初め
浮雲は 海岱に連なり
平野は 青徐に入る
孤峰には秦碑在り
荒城には魯殿余る
従来  古意多し
臨眺して独り躊厨す
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