富春渚詩


富春渚 #1 謝霊運<14> 376

故郷の始寧で充分に精神的に、肉体的に休息した霊運は、未知の土地永嘉へと気重く出発する。永嘉に至るには海沿いに行くことも可能ではあるが、当時としては陸路を行くのがより安全であった。おそらく、永嘉から杭州に出て、富春へと旅をしたのであろう。喜寿は今の桐江のほとりにある富陽であるこの旅とてもけっして安楽な船旅ではなく、危険を冒してのものであったと、詩人は強調する巻二十六の「行旅」に引用される「富春の渚」の詩である。

(謝霊運のルートを現在の地名で示す)
杭州→蕭山→富陽→桐盧→建徳壽昌蘭渓金華永康(ここまで銭塘江、支流の?江【ぶこう】を登ってきた。<分水嶺>ここから甌江【おうこう】になる)石柱縉雲→麗水→青田→永嘉(温州)

富春渚詩 #1
宵濟漁浦潭。旦及富春郭。
わたしは夕方、漁浦の渡し場から船出した。夜どおし船旅をして、明け方、富春の街に着いた。
定山緬雲霧。赤亭無淹薄。
分水嶺の定山はまだまだ雲霧の向こうで遙かに遠い、富陽の花街の赤亭に泊まることはしない。
溯流觸驚急。臨圻阻參錯。
流れは急でそれをさかのぼる巌にせっそく接触したり、驚くような目に何度もあう、船を接岸できそうな岸へ寄せようとするのだが水流の出入りによってなかなか寄せられない。
亮乏伯昏分。險過呂梁壑。
私はあきらかに物に動じないことという心構えにはとぼしいものである、嶮しいといっても黄河随一の難関、呂梁幕府のある谷ほどのものではないので経過していく。

?至宜便習。兼山貴止托。
水があちこちから集まってくるこの場所は船の扱いを熟練することになる。そして山が連なっているので、ここからは船をおりて歩いていくことになる。
平生協幽期。淪躓困微弱。
いつもは、心ひそかに期してかなえたいと思っている、しかし途中でつまづき止めてしまう心の弱さを持っていることに困っている。
久露干祿請。始果遠遊諾。
長い間、官職に仕えて俸禄を受けることをしている、このたび初めて遠い彼の地に赴任することを承諾したのである。
宿心漸申寫。萬事?零落。
かねてよりこころにおもっていることがしばらくのあいだ、鬱積したものが払われて心が伸びやかになるようにおもえる。まあすべてのことが草木が枯れ落ちるようになってしまうというのだろう。
懷抱既昭曠。外物徒龍蠖。
心に思い描くのは明らかで広いことなのだ、もう、自分の名誉や、名刹というものに対して、これから伸ばしていこうなんて思わず、縮んでいていいのである。


富春の渚#1
宵に漁浦の潭【ふち】を濟【わた】り、旦に富春の郭に及【いた】る。
定山は雲霧に緬【はる】かに、赤亭には淹薄【とま】ること無く。
流れを遡りて驚急に触れ、圻に臨み參錯【でいり】に阻【はば】まる。
亮に伯昏の分に乏しく、険は呂梁の壑に過ぎぬ。
しきりに至るは便習に宜しく、兼れる山には止託を貴ぶ。
平生 幽期を協げんとするも、淪躓けて微弱に困しめり。
久しく禄を干むるの請に露わせるに、始めて遠遊の諾を果たす。
宿心 漸く申ばし写しえて、万事 供に零落れぬ。
懐抱は既に昭曠として、外物は徒らに龍蠖【りょうかく】せり。

富春渚
現代語訳と訳註 #1
(本文)富春渚詩
宵濟漁浦潭。旦及富春郭。
定山緬雲霧。赤亭無淹薄。
溯流觸驚急。臨圻阻參錯。
亮乏伯昏分。險過呂梁壑。
?至宜便習。兼山貴止托。
平生協幽期。淪躓困微弱。
久露干祿請。始果遠遊諾。
宿心漸申寫。萬事?零落。
懷抱既昭曠。外物徒龍蠖。

(下し文)富春の渚#1
宵に漁浦の潭【ふち】を濟【わた】り、旦に富春の郭に及【いた】る。
定山は雲霧に緬【はる】かに、赤亭には淹薄【とま】ること無く。
流れを遡りて驚急に触れ、圻に臨み參錯【でいり】に阻【はば】まる。
亮に伯昏の分に乏しく、険は呂梁の壑に過ぎぬ。
しきりに至るは便習に宜しく、兼れる山には止託を貴ぶ。
平生 幽期を協げんとするも、淪躓けて微弱に困しめり。
久しく禄を干むるの請に露わせるに、始めて遠遊の諾を果たす。
宿心 漸く申ばし写しえて、万事 供に零落れぬ。
懐抱は既に昭曠として、外物は徒らに龍蠖【りょうかく】せり。


(現代語訳)
わたしは夕方、漁浦の渡し場から船出した。夜どおし船旅をして、明け方、富春の街に着いた。
分水嶺の定山はまだまだ雲霧の向こうで遙かに遠い、富陽の花街の赤亭に泊まることはしない。
流れは急でそれをさかのぼる巌にせっそく接触したり、驚くような目に何度もあう、船を接岸できそうな岸へ寄せようとするのだが水流の出入りによってなかなか寄せられない。
私はあきらかに物に動じないことという心構えにはとぼしいものである、嶮しいといっても黄河随一の難関、呂梁幕府のある谷ほどのものではないので経過していく。
水があちこちから集まってくるこの場所は船の扱いを熟練することになる。そして山が連なっているので、ここからは船をおりて歩いていくことになる。
いつもは、心ひそかに期してかなえたいと思っている、しかし途中でつまづき止めてしまう心の弱さを持っていることに困っている。
長い間、官職に仕えて俸禄を受けることをしている、このたび初めて遠い彼の地に赴任することを承諾したのである。
かねてよりこころにおもっていることがしばらくのあいだ、鬱積したものが払われて心が伸びやかになるようにおもえる。まあすべてのことが草木が枯れ落ちるようになってしまうというのだろう。
心に思い描くのは明らかで広いことなのだ、もう、自分の名誉や、名刹というものに対して、これから伸ばしていこうなんて思わず、縮んでいていいのである。

(訳注)
富春渚 
銭塘江の河口より40~50km上流の街。前221年、秦朝は現在の富陽、建徳、桐廬を含む地域に富春県を設置した。9年(始建国元年)、新朝を建てた王莽により誅歳県と改称されたが、後漢になると再び富春県に戻されている。225年(黄武4年)、呉は富春県の一部に建徳県、新昌県を、翌年には新登県を設置している。394年(太元19年)、東晋は簡文帝の生母宣太后の諱が鄭阿春であったことより、同字を避けるべく富陽県と改称している。

(謝霊運のルートを現在の地名で示す)
杭州→蕭山→富陽→桐盧→建徳壽昌蘭渓金華永康(ここまで銭塘江、支流の?江【ぶこう】を登ってきた。<分水嶺>ここから甌江【おうこう】になる)石柱縉雲→麗水→青田→永嘉(温州)


宵濟漁浦潭。旦及富春郭。
宵に漁浦の潭【ふち】を濟【わた】り、旦に富春の郭に及【いた】る。
わたしは夕方、漁浦の渡し場から船出した。夜どおし船旅をして、明け方、富春の街に着いた。


定山緬雲霧。赤亭無淹薄。
定山は雲霧に緬【はる】かに、赤亭には淹薄【とま】ること無く。
分水嶺の定山はまだまだ雲霧の向こうで遙かに遠い、富陽の花街の赤亭に泊まることはしない。
定山 浙江省温州に入る際の当面の目標の分水嶺の山


溯流觸驚急。臨圻阻參錯。
流れを遡りて驚急に触れ、圻に臨み參錯【でいり】に阻【はば】まる。
流れは急でそれをさかのぼる巌にせっそく接触したり、驚くような目に何度もあう、船を接岸できそうな岸へ寄せようとするのだが水流の出入りによってなかなか寄せられない。
 へり、きし。碕は曲岸頭なりと。碕は圻と通ず。


亮乏伯昏分。險過呂梁壑。
亮に伯昏の分に乏しく、険は呂梁の壑に過ぎぬ。
私はあきらかに物に動じないことという心構えにはとぼしいものである、嶮しいといっても黄河随一の難関、呂梁幕府のある谷ほどのものではないので経過していく。

?至宜便習。兼山貴止托。
?りに至るは便習に宜しく、兼れる山には止託を貴ぶ。
水があちこちから集まってくるこの場所は船の扱いを熟練することになる。そして山が連なっているので、ここからは船をおりて歩いていくことになる。
?至 水があちこちから集まってくること。?は仍なり。水の相よりていたり、かねて山嶮ありという。別の意味として、しきりに至る(災害・事件などが)つぎつぎにおこる。○便習 なれる。熟練する。○兼山 山が連なり、船で行けない。分水嶺。○止托 船に、船頭に託すことを止める。


平生協幽期。淪躓困微弱。
平生 幽期を協げんとするも、淪躓けて微弱に困しめり。
いつもは、心ひそかに期してかなえたいと思っている、しかし途中でつまづき止めてしまう心の弱さを持っていることに困っている。
幽期 心ひそかに期すること。淪躓 淪はさざなみ、しずむ、おちいる、ひきこむ。はつまずく、たおれる、さわる、しくじる。とどまる。


久露干祿請。始果遠遊諾。
久しく禄を干【もと】むるの請に露わせるに、始めて遠遊の諾を果たす。
長い間、官職に仕えて俸禄を受けることをしている、このたび初めて遠い彼の地に赴任することを承諾したのである。


宿心漸申寫。萬事?零落。
宿心 漸く申ばし写しえて、万事 供に零落れぬ。
かねてよりこころにおもっていることがしばらくのあいだ、鬱積したものが払われて心が伸びやかになるようにおもえる。まあすべてのことが草木が枯れ落ちるようになってしまうというのだろう。
宿心 かねてよりこころにおもっていること。○申寫 鬱積したものが払われて心が伸びやかになること。○零落 おちぶれること。草木が枯れ落ちること。


懷抱既昭曠。外物徒龍蠖。
懐抱は既に昭曠として、外物は徒らに龍蠖【りょうかく】せり。
心に思い描くのは明らかで広いことなのだ、もう、自分の名誉や、名刹というものに対して、これから伸ばしていこうなんて思わず、縮んでいていいのである。
懷抱 懐に抱く。見識。思い考えること。○昭曠 あきらかでひろい。○外物 富貴名刹。○龍蠖 龍と尺取虫。伸び様としてちぢこまること。



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