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杜甫 李白を詠う
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李白杜甫を詠う
行路難 三首  李白
魯郡東石門送杜二甫
沙邱城下寄杜甫


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■ 杜甫 李白を詠う


9 贈李白  10 飲中八仙歌


9 贈李白 10 飲中八仙歌

9 贈李白 (李白と旅する)
 杜甫16 李白に贈った詩である。杜甫が李白を見たのは、天宝三載八月李白が長安から逐われて梁宋の方へ遊びにゆこうとして、洛陽を通過したときである。因ってこの詩も天宝三載の作だろうという。

二年客東都,所歴厭機巧。
野人對腥羶,蔬食常不抱。
豈無青精飯,使我顏色好?
苦乏大藥資,山林跡如掃。
李侯金閨彦,脱身事幽討。
亦有梁宋游,方期拾瑤草。

二年東都に客たり、歴(ふ)る所 機巧を厭(いと)う
野人腥羶(せいせん)に対す、蔬食(そし)常に飽かず。
豈に青精の飯の、我が顔色をして好からしむる無からんや。
苦(はなは)だ大薬の資に乏(とぼ)し 山林跡掃(はら)うが如し』
李侯は金閏(きんけい)の彦(げん)なり 身を脱して幽討を事とす
亦た梁宋の遊あり 方(まさ)に瑤草(ようそう)を拾わんと期す』

〇二年 此の二年という数え方がわからぬ。詩人が幾年というばあいは多くかぞえ年である。かぞえ年なら天宝二載、三載都東都に居たことになる。しかしたとえ中途どこぞへ往ったことがあるとみても杜甫は開元
二十九年、天宝元年、二載、三載と東都に居たのであるから、「二年」の二という数字は疑問である。○東都 洛陽。○所歴 経歴する所。人事上の経験をいう。○機巧 たくみな手段を用いること。○野人 自からを謙遜していう。○腥羶 魚や肉のなまぐさい食物。○疏食 菜食。○青精飯 或る種の草木の葉・茎・皮などを煮た汁で米をひたして飯とし、さらしては蒸すこと三たび、蒸すごとにその汁をかけて青くならせた飯を青精飯というとのこと。蓋し仙家の食であろう。○大薬 貴重薬。○資 材料。○跡如掃 如レ掃とは足跡をたって印せぬこと。苦乏・山林の二旬は前後置きかえてみる。○李侯 李白をさす、侯は敬語、君というのににる。○金閣 江掩の「別レノ賦」にみえる語、金馬門のこと。金馬門は漢の時、臣下が官を授けられる詔を待つ処。李白は翰林の供奉官であるゆえかくいう。○彦 すぐれた人。○脱身 官界からぬけでる。○幽討 幽は幽遠の趣、討は求めること。幽討とは山林にわけ入り薬草などをさがすこと。○亦 この亦は「我がごとく彼も亦」の義。○梁宋 梁は汗州、今の河南省開封府。宋は宋州、今の河南省帰徳府商郎県。○瑤草 玉芝草。

自分は二箇年の間、洛陽に旅客として生活しているが、経験上、世わたりにたくみな手段を用いることがきらいでならぬ。食物も菜食をしたいのであるが、いつもなまぐさものに対していて菜食に飽くことはない。仙家の法では青精飯というものがあって、それをたぺれば我が顔色も若返ってうつくしくなるのではあるが、仙を求めて深く山林に入ることをせぬから、貴重薬の材料などはさっぱりないのである。』ところが李君は嘗て金馬門に事えたすぐれた人で、このたび官からぬけでて幽選の趣をたずぬるを仕事とせられる。君も亦我と志を同じくするとみえて、これから梁宋の地方へあそんで堵草を拾いとらんとまちかまえておられる。

 〔余論〕 此の詩は完結した第ではないもののようである。然るに前賢の中には却って之を推賞する者があるのはどうしたことか。〔補〕起句の二年は四年に作るならば事実と合する。「文選」の曹楯の洛神購、今の本は黄初三年に作っているが、実は四年である。苗字では四を二二に作るが字形が脱落して三となった。杜詩の原本もまた或は四を二二に作っていたのを、後来伝写の際、其の半形を脱落して二となったものか。








 10 飲中八仙歌 

 10 飲中八仙歌

知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。

汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,
恨不移封向酒泉。

左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,
銜杯樂聖稱避賢。

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,
皎如玉樹臨風前。

蘇晉長齋斎佛前,醉中往往愛逃禪。

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。

張旭三杯草聖傳,脱帽露頂王公前,
揮毫落紙如雲煙。

焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。


飲中八仙歌 杜甫

飲中八仙歌 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  28

長安にあったときの作。当時長安では愛酒家として名の高い人物として八人が知られていた。杜甫はそれらの一人一人について、伝え聞きも交えてこの作品を作った。これを描いたとき、賀知章、李左相、蘇晉はすでに死んでいたし、李白は長安にいなかった。これらの八人のうち、李白に最も多くの字をあてているのは、杜甫の李白への敬愛振りの表れだろう。
竹林の七賢、竟陵の八友、初唐の四傑、竹渓の六逸、唐宋八大家などとこの飲中八仙とは異なったものである。


飲中八仙歌
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』


汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,
恨不移封向酒泉。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,
銜杯樂聖稱避賢。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』


宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,
皎如玉樹臨風前。』

宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』



蘇晉長齋?佛前,醉中往往愛逃禪。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,

天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。』
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭三杯草聖傳,?帽露頂王公前,
揮毫落紙如雲煙。』
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』



焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』

賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』



(下し文)飲中八仙歌
知章 馬に騎ること船に乘るに似たり、眼は花さき井に落ちて水底に眠る。』 
汝陽 三斗 始めて天に朝す、道に曲車に逢ひ 口涎を流す、恨むらくは封を移して酒泉に向はざるを。』
左相 日興 万錢を費す、飲むこと長鯨の百川を吸ふが如し、杯を銜み聖を樂しみ賢を避くと稱す。』

宗之 瀟洒たる美少年,觴を舉げ 白眼青天を望む、皎として玉樹の風前に臨むが如し。』
蘇晉 長齋す?佛の前、醉中 往往 逃禪を愛す』

李白 一斗 詩百篇、長安市上酒家に眠る。
天子呼び來れど船に上らず、自ら稱す 臣は是酒中の仙なりと。』

張旭 三杯 草聖傳ふ、脱帽して頂を露す王公の前、毫を揮って紙に落とせば云煙の如し。』
焦遂 五斗 方に卓然、高談雄辨 四筵を驚かす。』



飲中八仙歌
○飲中八仙 酒飲み仲間の八人の仙とよばれるもの、即ち
・蘇晉 735年(開元二十二年卒)
・賀知章744年(天宝三載卒)
・李適之746年(天宝五載卒)
・李?  750年(天宝九載卒)
・雀宗之
・張旭
・焦遂
・李白 763年(宝応元年卒)らをいう。



知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』
知章 賀知章。会稽永興の人、自から四明狂客と号し、太子賓客・秘書監となった。天宝三載、疏を上って郷に帰るとき、玄宗は詩を賦して彼を送った。○乗船 ゆらゆらする酔態をいう。知章は出身が商人で、商人は船に乗るので、騎馬にまたがった状態をいったのだ。○眼花 酔眼でみるとき現象のちらつくことをいう。




汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
汝陽王李礎は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

汝陽 ブログ贈特進汝陽王二十韻  杜甫27
三斗 飲む酒の量をいう。○朝天 朝廷へ参内すること。○麹車 こうじを載せた車。○移封 封は領地をいう、移は場所をかえる。汝陽よりほかの地へうつしてもらうこと。○酒泉 漢の時の郡名、今の甘粛省粛州。これは地名を活用したもの。



左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。』
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』
左相 李適之。天宝元年、牛仙客に代って左丞相となったが、天宝五載にやめ、七月歿した。○日興 毎日の酒興。○費万銭 唐時代の酒価は一斗三百銭、万銭を以ては三石三斗余りを買うことができた。○長鯨 身のたけのながいくじら。〇百川 多くの川水。○銜杯 銜とは口にくわえること、含とは異なる。含むは口の中へいれておくこと。○楽聖称避賢 適之が相をやめたとき、親交を招き詩を賦して、「賢を避けて初めて相を辞め、聖を楽しみて且つ盃を銜む、為に問う門前の客、今朝幾個から来ると」といった。此の聖・賢の文字には両義を帯用させたものであろう。魏の時酒を禁じたところが酔客の間では清酒を聖人といい濁酒を賢人といったが、前詩は表には通常の聖人・賢人の表現を、裏には清酒・濁酒の表現をもたせたものである。竹林の七賢参照。



宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
宗之 雀宗之。宗之は雀日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○瀟灑 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魂の院籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○ しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。


蘇晉長齋?佛前,醉中往往愛逃禪。
蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』
蘇曹 蘇?の子、先の皇帝のときに中書舎人であった。玄宗が監国であったときの別命は蘇晋と賈曾との筆によったものだ。吏部・戸部の侍郎を歴て太子庶子に終った。○長斎 一年中喪の忌をしている。○繍仏 ぬいとりしてつくった仏像、これは六朝以来あったもの。○逃禅 これは酒を飲むことは破戒であるから教外へにげだすこと。居眠りでもしていること。

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』
酒家眠 玄宗が嘗て沈香華に坐して、翰林供奉の李白をして楽章をつくらせようとして李白を召して入らせたところ、李白はすでに酔っていた。左右のものは水をその面にそそいでようやく酔いを解いたという。○不上船 玄宗が白蓮池に遊んだとき、李白を召して序をつくらせようとしたところ、李白はすでに翰苑にあって酒を被っており、高力士に命じて李白をかかえて舟に登らせた。


張旭三杯草聖傳,?帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』
張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。○草聖伝 後漢の張芝は草書の聖人とよばれたが、旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるが如くであった。○脱帽露頂 帽をいただくのが礼であり、帽をぬいで頂きをあらわすのは礼儀を無視するさま。○王公 地位高き人々。○揮毫 毫は「け」、筆をいう。○雲煙 草書のさま。


焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』
焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。』
焦遂 この人物は未詳。○卓然 意気の高くあがるさま。○高談 高声でかたる。○雄弁 カづよい弁舌。〇四筵 満座、一座。

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